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神様日記

神様との対話を綴る

テモテl 2章 / えのき茸としめじの常備菜

簡単・美味しい常備菜や作り置きレシピを教えて!

えのき茸としめじの常備菜



時代によって違う考え方がある。
大河ドラマだと、たとえば、どうする家康、では、周りの人物、大勢の人々がいるのに、主君中心信長、信玄など武将中心に描かれる。

どの部分を見たらいいのか、は基本的には歴史はどの部分で動いたかで見る。一番中心にあるのは、国の王だったり、高官である。間違った判断をしたら、国自体が悲鳴を上げる。
今の時代だと、戦争。戦争程、人間にとっては無意味なものはない。政治家達は戦争を起こす政策をしがち。

2節 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。

日本は弱い人達は守られている。
良い点については感謝すべきである。
もちろん悪い点は改めてもらうが。

律法は神様から与えられたものの変形である。
十戒は神様から直接与えられたもの。神様が直接板に刻んだ。
人間が守らなくてはいけない。豊かに生きて行くために定められた。律法は清いもの。

日本は平和憲法9条があるため、今まで戦争を起こさなかった。大事なものを理解しなくてはならない。

律法は鬱陶しいと、思う人が増えて来た。自分の悪い行いを正当化するため。プーチンは自分の都合の良いように法律を変えて来た。

律法を一つの基準として生きて行く。

3-5節これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。


律法による基準。女性についての基準。その裏返しが男性についての基準。男性が非常にしっかりしなければならない。男性は絶対に怒るなという内容である。女性の品格を常に持ち続けること。実際は、教会の男性は怒りっぽく、女性は男性の上に立ちたがる。イスラム教の人達は今、女性の声が声高になっている。しかし、イスラム教徒は女性蔑視がまだ根強い。イスラム教の国は崩壊しているか、していない。イスラム教の国々はこの考えが根本にある。

女性は着飾る。男性は車などにステイタスを求める。優位に立ちたいという現れである。
男性は女性より見栄っ張りである。
婦人が男性に教える。男性が心理的に耐えられない。控えめにするとか、男と女が上手く行く秘訣。
キリスト教、イスラム教は女性蔑視の宗教だと言われる所以である。時代背景もある。日本も全時代までそうであった。
今もある意味、そうである。国会議員や社長などの男女比率に顕著に現れる。

肉体が宿る世界ーこの世と、神さまを信じるということー霊的な世界にも足を踏み入れている。

物質的な社会よりも精神的な社会に重きを置いた方がいいのではないか。絶対的な必要なもの、インフラとか食糧、衣類は今、ある。プラスαのもので生きている。イノベーションして物の価値を上げて売る。新しいものを作る。それには限界があり、それに疑問を持った人は本質に戻る。それは物質であり、限られた資源から作られるからである。有限と無限。人間は有限にアプローチするのがいけない。1秒でも長く生きたい、1グラムでも痩せたい、一歳でも若く見えるためにものすごくお金を使う。時間に抗おうとすることにお金を使う。しかし、人間は有限である、100%死ぬ。50,60歳で信じられない程若く見える人がいるが、それもある年になると一気に老ける。有限の内容は過ぎ去るものである。無限の内容に注視した方がいい。これがキリスト教の教えの重要なところ。パンをさいて人々に行き渡らせた。神の無限の技を見せる。私達は狭いところで生きている。私達の心と頭はそれを抜ける。つまり、非常に大きな可能性がある。AIではなく、人間の精神性の可能性にフォーカスする。音楽の可能性、文学の可能性、芸術の可能性。

良い技で身を飾る

つまり、物質的な真珠を身につけるという、高級車に乗るとかいう…のではなく、良い技を身につける。

自分で自分のドラマを作る、自分の人生を生きる、ことが肝要である。
人間の中には無限の神の領域がある。そこに注視して、物質的なことに囚われないで生きることが肝要である。

2章
祈りに関する教え
そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。
わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。
だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。
同じように、婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。
むしろ、善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人にふさわしいことです。
婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。
婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。
なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。
しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。
しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。

テモテl 2章 /  えのき茸としめじの常備菜_d0163931_20130851.jpeg


by anna-131 | 2023-01-25 10:07 | エキサイトのテーマ投稿分 | Trackback