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神様日記

神様との対話を綴る

父の部屋の引越し

母の退院のめどが立たない。
四月から入院しているので、もう、四カ月も経つ。
大部屋だったのを八月から個室に変わった。

七月の初めに、主治医が母の容態がこれ以上良くならないので、七月下旬には退院してください。と言った。
私は鼻腔栄養でも面倒を見てくれると言った施設に帰らなくてはと思った。
しかし、弟は反対した。おかんを殺す気かと、脅迫メールのようなメールが来た。私は気分が害された。

ストレッチャーでの救急病院からリハビリ病院の転院も、病院の支払いも全て。母の部屋の片づけ、冷蔵庫を父の部屋に持って行ったのも息子に手伝ってもらって、全てしているのに。
母が二度目の脳梗塞で倒れて救急病院で入院して生死を彷徨っている時、自分は一回り以上年下の妻を連れて、中欧に旅行に行っていたではないか。キャンセル料がかかるからって。
私は毎日、救急病院へ行って、母の体温が40度になっていても、悠長に構えている看護師さんを急かして、解熱剤をお願いしますと、懇願していたのに。病院から帰り道、どうして母はこんな目に遭わなくてはいけないかと涙が溢れて仕方がなかったのに。トボトボとあてもなく、フラフラと歩いて、、、辛かったのに。
母が倒れた時、弟は救急病院の執刀医に文句を言った。夜中の3時だった。私がたしなめると、「黙っとけ!」と、偉そうに言った。
弟が中欧旅行の間に母は転院させられた。
「えっ、もう退院⁈ もっと長く入院させてもらえへんの!」と遠くウィーンから、電話で宣った。
「あんたが、先生に文句を言ったからだよ!」と言うと、
「そんなはずはない」だと…
先生も人の子だ。出来うる限りの最善を尽くしているのに、文句の言ううるさい男が、ヨーロッパから帰って来る前に、母を転院させたかったのだろう。

だけど、私は黙った。弟とは仲良くしておかなくては。弟は父母とは別に住んでいて、実家から新幹線で行かなくてはいけない県に住んでるいるが、弟が家を継いでいるから、弟の方針に従った。
母が退院しないなら、施設を解約すると私は言った。それも弟は反対した。
良くなって、母が帰るところがなかったら、可哀想だと言う。私は「いくらでも部屋は空いているのだから、一旦、解約して、退院したら、又、入ればいい」と言うと、
今は父の隣の部屋が母の部屋だから、今度入居する時はそんな隣の部屋は空いていない。と言った。父のお金を使っているのだから、いい!といつもの調子で強く言った。
一度目、倒れて母が入院している時、私が父の入居の際に、隣の部屋が空いていて、抑えてもらった部屋なんだよ。夫婦が隣同士の部屋といういい条件のところを探したのは私なんだよ!
「二人部屋が空いたら言ってと、施設に頼んでいるんだけどな」と私は言って、電話を切った。
しばらくして、弟から電話がかかって来た。
「施設に電話をしたら、今、二人部屋が空いているんだって。キャンセルが入ったって」と言った。
私はすぐに施設に電話して、二人部屋を抑えた。
次の日、元嫁に手伝いに来てもらった。元嫁は約束があったがキャンセルして来てくれた。
母の病状を聞くため、看護師と施設の事務の職員が対応した。
施設の事務の職員は焦っていた。
私と元嫁を前にして、
「職員が変われば、お父さんは混乱するのではないですか?慣れている職員がいるこの階の方がいいと思います」と言った。
「山田さんも鈴木さんも、私の知っている人はこの一年で次々と辞めて行ったでしょう。佐藤さんも今月、退職されました。今は知らない人ばかり。八月に入った人ばかりじゃあないですか。だから、変わっても同じです」と私は言った。
懇意にしていた佐藤さんは、施設の待遇(給与)が悪いと私に愚痴っていた。表向きには他のところ(施設)で勉強しなくてはと、キャリアアップしなくてはと、言っていたが。佐藤さんが8月に退職することは、4月から私は知っていた。もっと待遇の良い施設が見つかったのだろう。
かなりの額を施設に支払っているのに、どうして給料が安いのだろう。誰が儲けているのか。経営者の年収が高いのか。
日産のカルロス・ゴーンの記事を読んだら、年収は10億3500万円(2016年)。たとえ、赤字だった日産を立て直し、国内シェアも20%(同年)まで伸ばしたとしても、そんなにいるか?呆れる。
もちろん、日産のCEOほどではないが、この施設の経営者もかなりの年収なのだろう。
現場の職員の給与を抑え、自分の年収を確保する。職員が次々辞めても、代わりはいくらでもいると、次々と採用する。採用しては辞め、又、採用する。又、辞め、採用する。それの繰り返しだ。人を育てるということをしない。人間は’使い捨て’ではない。
事務の職員は同じ顔触れなので、それなりの給与をもらっているのだろう。もっと、現場の職員の給与を上げてもらいたい。入居者だって、慣れた人に面倒を見てもらいたいのだから。介護職は本当に大変な仕事だ。頭が下がるし、感謝している。ボランティアの精神がなくては、介護職には付かないだろう。
すると、「少しお待ち下さい。上の者に聞いて来ます」と、一旦、席を外した。
私は元嫁と母の荷物を整理して次々と大袋に詰めて行った。
程なくしてその事務の職員は戻って来て、
「部屋代を二部屋分ではなく、1.5部屋分にします。二人部屋と同じ料金にします」
とディスカウントして来た。
私は
「いえ、今までは母が父の面倒を見て、ストレスになるから、二人別々の部屋にしていたのです。母は父を見たくても今の状態だと見れないので、二人部屋の方がいいのです。どういう部屋か見せてください」と言った。
最上階のその部屋は遠くに山々が見渡せて、充分の広さがあった。
今の個室の目の前は高層マンションが建っていた。
「いい部屋ですね。この部屋、広いし、山を見渡せるし」
私はその景色を見て、感嘆した。
元嫁と二人で、母の部屋の荷物を片付けたら、何袋もあった。荷台で何回か往復して、下の階に荷物を降ろした。その荷物は元嫁の車がいっぱいになるほどだった。しかし、元嫁の車のおかげで一度に荷物を実家に引き上げることが出来た。
元嫁は
「明日はどうしても来れないわ。ごめんね」と言った。
もちろん、そうである。1日付き合ってくれたら御の字だ。
誰が別れた夫の両親のことに関わる。
「夕子(元嫁)を使うな‼︎夕子使うなと言っているだろ‼︎」と弟が再三怒って釘を刺す。
しかし元嫁がいないと、父母の介護は出来ない。
偉そうに言うだけで、実際に動くのは私だ。今の嫁は、弟とお見舞いに来るだけで、何もしないし、頼めない。叔父のお通夜とお葬式の時に会った以外にまだ二回しか会ったことがない。遠いし、間に合わない。っていうか、携帯番号も何も知らない。
その次の日、施設の人に手伝ってもらって父の部屋の引越しをした。
私は廊下の端まで歩いた。一部屋空いていた。
私はさりげなく、「奥の部屋が空いてますね」と言った。
「あっ、あの部屋はもう予約が入っているのですよ」と職員は答えた。
私は四月の時点で、二人部屋をお願いしていたのにな、と思った。経営という点では、二人部屋を一部屋貸すより、一人部屋を二部屋かす方がいいのだろう。
別の旧知の女の事務の職員とエレベーターの前で会った。
「突然(引越しが)でしたねー」と軽く嘲笑しながら、言った。
私は心の中でムッとした。
「いえ、突然ではないですよ。四月から頼んでいたのですから」と答えた。
父に
「広い部屋に変わって、良かった?山々が見渡せて良かった?」と聞いたら、
深く頷いてくれた。
私は心から、良かったーーと思った。

















by anna-131 | 2018-08-25 01:12 | エッセイ | Trackback

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